第1部:背景

-第1章 ノートの目的について-

きっかけ1:ある先生の指摘

下井は理学療法学科4年生の卒業研究の時から、研究ノートをつけています。研究を始めるにあたり、指導教官であった秋山先生(国際医療福祉大学保健医療学部教授)に指導されたことの1つが「研究ノートをつける」ということでした。
つい最近のことですが、研究室で自分の研究ノートを開いて、先行研究の内容をまとめていました。その時、隣の研究室の先生が別の用事で入ってきて、自分のノートをふと覗きこんで、言いました。

「ノートの文字の文頭が揃ってるのは、東大ノートのルールと一緒だ」

「東大ノート」とは、「東大合格生のノートはかならず美しい」(太田あや著、文藝春秋刊)で紹介されている、東大合格者が受験の時に作成していたノートのことです。著者である太田氏が、200冊以上の東大合格者のノートから見つけ出した法則や、直接合格者にインタビューした内容をまとめたその本は、平成20年9月の発売後1ヶ月で16万部を売り上げてたベストセラーです。
それまで、書店に平積みになっているその本を手にしたことはあったのですが、買うまでには至りませんでした。しかし、隣の先生の一言が気になって、さっそく購入してみました。本を読んでみて驚いたのは、自分が作っている研究ノートが、この東大ノートの法則に則って作られていたのです!!
あ、決して、自分のノート作成技術が優れていることを、自慢しているわけではありません(個人的には「東大」というだけに対する尊敬の念は全くありませんし…)。
下井が考えたり、やっている程度のことは、もうすでに誰かが考えたり、やっていたりする、ということなのです。
また、自分の研究ノートの方法論は、残念ながら自分で編み出したわけではありません。サラリーマンの時に上司から教わったり、インターネットで見つけたりしたものを積み上げていったに過ぎないのです。
そうした諸先輩方の知恵を集めて作った、自分のノートのスタイルが、「美しい」といわれるノートのスタイルと合致しているということに驚いてしまうのです。やはり、先人の知恵は時代や状況を越えて共通だと感じずにはいられません。

きっかけ2:ある大学生のノート

その本「東大合格生の…」を読んでから、ある学生のノートを見せてもらう機会がありました。生理学をまとめたというそのノートは、行間が一定していない上に、階層化もインデント(字下げ)もされていないため、どこが見出しか、どこが本文かがわかりにくいものでした(東大ノートの法則1と5です)。
その学生に、なぜノートをとるのか聞いてみると、「あとから見て、参考にするため」と答えます。じゃあ、作っているノートは、あとから見て、わかりやすいのかと聞くと、その学生は考え込んでしまいます。
改めてノートをとる意味や目的を聞くと、答えられるのですが、その目的を意識してノートをとっているわけではなかったようです。

大学生にとって、ノートとは

もう1つ、大学生にとっての「ノート」を考えさせられた経験についてお話しします。
学生が板書やスライドの文字を写すと、ノートをとることをやめてしまうシーンを、講義をしながら、よく見掛けます。下井の講義のスピードが速かったり、講義の内容に興味がないこともあるかもしれません。
でも学生が「視写」はできても「聴写」ができないという可能性もあります。視写である「板書」という作業は、「書き写す」という行為の目的と終了点が明確で、聴写よりも達成感が得られやすいからです。

先日、ある理学療法分野の教育系のシンポジウムを拝聴する機会があり、シンポジストの先生が、最近の学生の気質の1つとして、ノートをとらないことをあげていらっしゃいました。やはり、どの先生も感じるところは同じでした。

大学生のノートと研究ノートの相違点

そのシンポジストの先生は、学生がノートをとらなくなったのは、教員が板書をしなくなったことに加えて、学生の「考えてまとめる能力」が低いことが原因と説明されていました。
確かに、ただ板書や示されたスライドを写す作業には、思考する過程が欠如しています。また、前述した視写と聴写の違いを考えても、聴写は早く書き取るというテクニカルな要素に加えて、「考えてまとめたポイントを書く」という能力も必要になります。
しかし、考える過程が欠如する前提として、考える必要性がない、と彼ら大学生が判断していたらどうでしょうか。

つまり、大学生にとってノートする目的や意味がないとしたら、あるいは我々が考えているノートの目的と大学生のノートの目的が違っていたら、彼らを「最近の学生は…」と批判することはできないのではないでしょうか。
そこで、研究者、大学院生や社会人のノートと大学生のノートとを比較してみました。すると、次の3つの点が大きく違うということに気がつきました。

1. ノートする目的

我々は、なぜノートを作るのでしょうか?
  • 研究手順やデータの内容を記述して、得られた成果を証明する(追試が可能な状態とする)
  • 研究に使えそうな発想(ひらめき)をメモする
  • 先行研究のレビューを書き留める
  • 自分の考えに対して、新しく考えたことや他人の意見を加えて修正する
  • 研修会で得た新しい技術や知識を書き留めて、実際に使うときに再び見る
などがあると思います。
では、大学生はなぜノートをとるのでしょうか。
自分の経験から想像すると、大学生がノートをとる目的は、「短期的目的」と「長期的目的」の2つに分けられると思います。

大学生がノートをとる「短期的目的」とは、目前にあり、彼らの最大課題である(期末)テストで、より良い成績を残すことです。また、教員から指摘されないように、講義中に何らかのアクションを起こしておく、という理由もあるかもしれません。
対して、ノートをとる「長期的目的」とは、社会人としての「知の形成」です。理学療法養成校の学生ならば、理学療法士としての「知の形成」です。
理学療法士が、養成校卒業後も様々な研修会や講演会に参加し、その内容をノートするのは、その研修会で得た知識や技術を臨床・研究活動に実践・応用し、社会に還元しようという理学療法士としての長期的目的に他なりません。
しかし、理学療法士である卒業生に聞いてみると、その多くは卒業後に在学中のノートを開いたことはないのです。このことから、大学生のノートの目的の「長期的目的」は、「短期的目的」に比べて、かなり希薄なことが想像できます。
つまり、大学生の多くは、「短期的目的」である期末・国家試験対策としてノートをとっているのです。
もし、学生が目前の試験対策だけを目的としてノートをとっていたら、「思考」よりも「記憶」を優先して、板書やスライドを映す作業に没頭するでしょう。受講目的に理学療法士としての長期的目的がなければ、あるいは我々教員がその長期的目的を明確に提示しないかぎり、学生の板書を映すだけの作業は必然なのかもしれません。
ちなみに、かくいう下井本人も、理学療法養成課程では、板書を含めて、主に試験対策として、より多くの情報をノートすることに注力していました。とにかく多くの情報を取り入れるため、ノート・パソコンで講義ノートをとっていました。さらに、情報の入力スピードを上げるため、ブラインド・タッチもマスターした程です。

2. 未知か既知か

研究ノートと大学生のノートとの2つめの違いは、ノートをする主体の知識レベルです。
研究ノートを作ったり、講演の内容を書き留めるシーンでは、ノートをとる主体である我々の頭の中には、ある程度の知識があることが多いかと思います。ノートをとるということは、その前もってある知識に、新しい知識を加えたり、関連付けて膨らましていく作業になります。つまり、既知の知識への新しい知識の上書きや関連付けです。
対して、大学生、特に低学年の講義は、関連する知識がほとんど無い状態のところに、新しい知識を加えていく作業です。つまり、未知を知識として新規作成することです。
既知の知識に対して新しい知識を関連付ける作業では、「考えてまとめる」作業が必要となります。しかし、知識の新規作成では、「考えてまとめる」作業量は、さほど必要となりません。自然に、与えられた知識、つまり板書の内容を書き写す作業に没頭する結果となりやすいのではないでしょうか。

3. 受動か能動か

23年間の小学校教員歴を有する親野智可等(おやのちから、本名:杉山桂一)氏は、その著書「小学生の学力は『ノート』で伸びる!(すばる舎)の中で勉強には2種類あるとしています。
1つは、自主的に取り組むのではなく、他人にやられている「学校や塾の勉強や宿題」。もう1つは、「自分の興味のおもむくままに書いたり、調べたりする勉強」です。前者が受動的スタンスであるのに対して、後者は能動的スタンスとも言い換えることができるでしょう。
この分類は小学生だけではなく、大学生や我々社会人にもあてはまります。
理学療法士となると、新しい技術・知識を獲得しようと、能動的・積極的にいろいろな研修会に参加する人が多くいます。研究者も基本的には自分の興味ある分野・領域、トピックについて研究を進めます。
対して理学療法学科に在籍する学生のことを考えると、理学療法士になろうと思って入学してきたのですから、その養成課程である大学の講義も、能動的に受講すべきです。しかし、なかなかそうはいかないのが現実ではないでしょうか。
こうした受動的な勉強では、自ら考えようという気持ちは働きにくく、ノートも、ただ書き写す作業になってしまうのではないでしょうか。
ちょっと話しが飛躍するかもしれませんが、理学療法士の養成課程では、数週間の臨床実習を履修・実践することが卒業要件の1つです。そうした臨床実習などで、現場の指導者(スーパーバイザー)から、「学生の積極性がない」とか「考えが浅い」という指摘を受けることが少なくありません。こうした指摘の背景には、臨床実習であっても、大学の講義と同じように、受動的に教えを受ける姿勢から切り替えられなかったり、能動的に学ぶ方法がわからなかったりすることがあるのかもしれません。
以上のように、研究者や社会人と大学生では、ノートをとる目的やその知識レベル、あるいはスタンスが違っているため、ノートの意味そのものが違っていることが考えられるのです。

       
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